

2007-04
映画監督はどうあるべきか
映画監督は、映画に魔法をかけられる人物でなくてはならない。
映画の魔法は、知識や技術とは別のところにあって、
魔法であるがゆえに実現させることはたやすいことではない。
脚本も演出も撮影もすべてよく練られているのに、
どこか物足りない、心に残らない映画がたくさんある。
それに比べて、技術はおぼつかないのに、自分の人生とともに傍らに置いておきたい映画がある。
この違いが、映画の魔法である。
ではこの魔法をかけるにはどうしたらよいのか。
そのキーワードは「人間関係」にある。
よく、監督にはイメージ力が大事だとか言われるが、それは必須能力であって決め手ではない。
どんなに自分の中に素晴らしいイメージがあっても、それを実現させるのは自分ではなく、
他人である俳優やスタッフである。
ゆえに、その「素晴らしいイメージ」を自分以外に押し付けるだけだとしたら、
一見その通りにやられているように見えても、出来上がりに「素晴らしさ」は微塵も残らない。
大切なのは、彼らに自由な発想をしてもらう「自由」を与えることであり、自由を共有することである。
そのことによって、監督一人では到達できなかったものが見えてくる。
だから映画製作は、共有しあう信頼関係が命であり、
そのような人間関係を構築することがすべてだといっても過言ではない。
映画製作は、「映像」を作ることが目的ではない。
そこに息づく人間とそのドラマを伝えることが本来の目的である。
それが出来て初めて「映画」となる。
だから映画監督は、人間を深く見つめる目をもたなくてはならず、映画の中の登場人物のみならず、
俳優やスタッフとの人間関係、コラボレーションを深めることに集中しなくてはならない。
人間ドラマを伝える作品を作るのは、また人間なのだから。
そこに集中できた時に初めて、映画に魔法がかかり始める。
その魔法を見守るのが、映画監督なのである。
written by 中村未来歩

2007年12月

